ゆかたまつり | 灘のけんか祭り | 提灯祭り | 獅子舞 | 一ツ山・三ツ山 | ひめじおんな祭り |
主な秋祭り | 海上花火大会 | 姫路お城まつり | |||
平和資料館 | 平和資料館の常設展示 |
古式ゆかしい神事から市民参加の新しいイベントまで 祭りどころ姫路の名にふさわしく 数々の行事が季節の訪れを告げてくれます |
■秋祭りの起源 | |
屋台や御輿、壇尻が姫路の秋祭りの主役として定着したのは江戸時代後半ではないかと言われています。 それを裏付けるものとして、松原八幡神社の祭礼(灘のけんか祭り)の祭式運行を規定した宝暦8年(1758)の「八幡宮御神事御規定式」や、弘化頃(1844〜47)の祭礼の様子を描いた「松原八幡宮祭礼絵巻」などが残っています。 |
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■屋台 | |
播磨地方の屋台は擬宝珠屋台系と蒲団屋台系に大別されますが、姫路の屋台は沿岸部を中心に概ね擬宝珠屋台です。蒲団屋台では、お隣りの高砂市・曽根天満宮や加西市・住吉神社が有名です。 | |
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■獅子舞 | |
獅子舞は、秋の例祭に神社の境内やお旅所などで除災招福・五穀豊饒を祈願して奉納される宗教的芸能です。“播磨は獅子どころ”と言われるように、姫路でも秋祭りに獅子舞が奉納される神社が多くあります。 | |
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■祭り料理 | |
一年が祭りを軸に動くという沿岸部の町々では、季節の海の幸、山の幸を盛り込んだ豪華な料理が秋祭りを彩りますが、一般的な姫路の祭り料理といえば「さばずし」。脂ののったさばを姿寿司や押し寿司にします。 |
まず新年を彩るのは、西日本一の規模で繰り広げられる新年の「全国凧あげ祭り」。 そして、松明や鉾をかざした赤鬼、青鬼が勇壮に踊る書写山円教寺や増位山随願寺の「鬼追い」が、 新しい年の招福を祈ります。 らんまんの春ともなれば、姫路城でみやびやかな「観桜会」「お花見太鼓」が催され、 夏には「ゆかたまつり」、「お城まつり」が華やかに繰り広げられます。 中秋の名月の日には、姫路城や好古園で「観月会」が開かれ、秋本番には 豪華けんらんな屋台の練り合わせで知られる「灘祭り」を筆頭に勇壮なみこしや屋台が繰り出します。 提灯をぶつけ合う網干魚吹八幡神社の「提灯祭り」、毛獅子が乱舞する大塩天満宮「大塩の獅子舞」など、 郷土色豊かな珍しい祭りも見逃せません。 また奇祭として注目を集める、播磨国総社の「一ツ山祭」、「三ツ山祭」は全国でも例を見ません。 |
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ゆかたまつり ゆかたまつり 長壁神社 場所/姫路市立町 祭礼日/6月22日〜24日 |
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姫路城の守り神である長壁神社の夏祭りです。江戸・吉原の高尾太夫を落籍し、 風流大名と呼ばれた榊原政岑が始めたといわれています。 一帯に並ぶ夜店の数は、西日本一といわれています。 祭りの時期には、走馬灯を手にしたゆかた姿の子どもたちが行き交い、 ミスゆかたのパレードやゆかたショーなど多彩な催しが行われます。 また、その数は西日本一とも日本一ともいわれる800店近くの露店が軒を並べ、 大いに賑わいます。 姫路に夏の到来を告げるこの祭りに、ぜひゆかたを着てご参加ください。 |
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6月22日〜24日まで、3日間行われる「ゆかたまつり」は、長壁神社の例祭から 始まったものだといわれています。 長壁神社は、千年以上前から姫路城のある姫山に地主の神としてまつられて いました。 しかし秀吉が姫山に天守閣を、続いて池田輝政が現在の姫路城を築いてからからは、 城内にある長壁神社には武士以外の人は参拝できなくなってしまったのです。 江戸・吉原から高尾太夫を身請けするなど、風流大名として知られていた当時の 姫路城城主・榊原政岑(さかきばらまさみね)は、その行いから越後へ移封されることに なりました。 その時、一般の人も気軽に長壁神社に参拝できるようにと、長源寺の境内に社を移し、 遷座祭を開催したのです。それが、今から260年前の夏至の事、以来、長壁神社では 6月22日が例祭と決められたのです。 その遷座祭で、人々が式服を作る間がなくゆかたを着たことから、毎年例祭に参拝 する人がそれにならってゆかたを着るようになり、「ゆかたまつり」と呼ばれるようになった と言われています。 祭会場一帯をうめ尽す、千店近い屋台の数は西日本一とも、日本一ともいわれ、 走馬灯を手にした子供達のパレードやミスゆかたのパレードなどが涼やかに行われ ます。 |
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TOP 灘のけんか祭り 灘のけんか祭り 松原八幡神社 場所/姫路市白浜町甲396 祭礼日/10月14日・15日 アクセス 山陽電鉄白浜の宮駅より徒歩約3分 |
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「灘のけんか祭り」の祭礼地域は、姫路市内の南東部海岸地帯のうち、現在の行政地名でいえば、東山(旧東山村)・八家(旧八家村)・木場(旧木場村)・白浜町(旧宇佐崎村・中村・松原)・飾磨区妻鹿(旧妻鹿)を合わせた地域で、一般に灘地域とか、灘地区と呼ばれています。 ここはかつて、松原八幡神社が石清水八幡宮の別宮として全盛を誇った頃の支配領域です。近世幕府時代は、播磨国飾東郡(のちに飾磨郡)に属する姫路藩領の村として明治初年に至りましたが、この頃の村の名が、東山、八家、木場、宇佐崎、中村、松原、妻鹿で、地元ではこれらの村を総称して「灘7村」とよびました。「灘のけんか祭り」では、今もこの当時の村を単位として祭礼行事を行っています。 東山
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八家
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木場
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宇佐崎
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中村
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松原
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妻鹿
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■宵宮(10月14日) 宵宮の早朝、練り出しの始まった各地区の屋台は、町内を一巡し、 鎮守社に詣でたあと、松原八幡神社へ向かいます。この宮入りの順は 江戸時代より変っていません。「ヨーイヤサー」の掛け声で、 楼門前で練り競う様子は勇壮そのもの。宵宮は最高潮に盛り上がります。 |
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■本宮(10月15日) 本宮の早朝、海に入って身を清める「潮かき」の儀式を済ませた担ぎ手たちは、 安置してある3基の神輿を担ぎ出し、宮内で練り合わせ、屋台とともにお旅所に 向かいます。 宮を出てお旅山のふもとの練り場に着いた3基の神輿は、ここで壮絶なぶつけあい (練り合わせ)を行いますが、「けんか祭り」にふさわしい激しさで、観衆を魅了します。 |
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その後、練り場には次々と各地区の6台の屋台(神輿の練り番に当たる地区は 参加しない)が進み、色とりどりのシデ棒が美しく波打つなか勇壮華麗な練りを 見せ、祭りはまさにクライマックス、多くの観衆が酔いしれます。 |
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魚吹の提灯祭り 魚吹の提灯祭り 魚吹八幡神社 場所/姫路市網干区宮内 祭礼日/10月21日・22日 |
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■宵宮の提灯祭り 魚吹八幡神社の秋祭りは、「提灯祭り」といわれるように、祭りの呼び物は 何といっても宵宮を彩る「提灯練り」です。暗闇の中をまるで光の波のように 揺れる提灯の列はため息の出る美しさですが、 それが楼門の前にさしかかると、一転、激しいものに変わり、 互いに提灯を叩き合う「提灯練り」が始まると、若衆の叫びと群衆のどよめき、 竹を打ち鳴らす音が混じり合い、祭りは最高潮の盛り上がりとなります。 |
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■本宮の屋台練り 魚吹八幡神社は、播磨地方でも最大の氏子(24ヶ町1万数千戸)を抱えています。 本宮の午後1時ごろから18台の屋台が宮入りを始め、楼門前や本殿前、拝殿前で 練り合わせを行います。「チョーサー」の掛け声で屋台を差し上げる息の合った 力強さや、勇壮華麗な練りが見物です。 |
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TOP 大塩の獅子舞 大塩の獅子舞 大塩天満宮 場所/姫路市大塩町 祭礼日/10月14日・15日 |
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大塩といえば獅子舞、獅子舞といえば大塩と言われるほど、大塩天満宮秋祭り の獅子舞は広く世に知られ、兵庫県の無形民俗文化財にも指定されています。 秋祭りには氏子8地区から8頭の獅子が参加しますが、いずれも頭から胴体、 尾先まで、黒の熊毛でおおわれた毛獅子が特徴です。神前に進んだ各地区の 獅子は定められた順に舞台に上がり、笛、太鼓、掛け声などに囃し立てられなが ら、野趣あふれる豪快な舞を披露します。 |
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獅子舞だけでなく、6台の屋台による荒々しい屋台練りも秋祭りの呼び物です。 ハッピに締め込み姿の練り子たちが、各地区ごとに色違いの鉢巻きをつけ、 「ヨーイヤサー」の掛け声で屋台を激しく練る姿は力感にあふれています。 |
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一ツ山・三ツ山 一ツ山・三ツ山 |
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「一ツ山」・「三ツ山」は、播磨国総社(射楯兵主神社・姫路市本町190)で行われる特殊神事。 神前広場に「やま」を造り、これに天神地祗の降臨を仰ぎ、国土平穏、五穀豊穣、万民安楽を祈る祭りです。 「やま」を一基作るのが「一ツ山」と呼ぶ大祭で60年に一度行い、「やま」を三基作る「三ツ山」は臨時祭とも言い、 20年に一度行われます。 |
姫路市内で行われている主な秋祭り
祭礼日 | 神社名 | 一口メモ |
10月8・9日 | 浜の宮天満宮 | 彫物の美しい大きな屋台を練り子が頭上高く放り上げ、絶妙の息で差し上げる豪快な「台場差し」で有名。 |
恵美酒宮天満神社 | 約2tもある豪華な屋台を若衆が肩で支え、荒々しい力自慢の練りを見せる「台場練り」で知られる。 | |
「体育の日」の前の 土曜・日曜日 |
津田天満神社 | 勇壮な屋台の練り合わせと拝殿の中での一気差し、華麗な獅子舞が見もの。 |
高岳神社 | 13台の屋台が神社に集結、お旅所に向かって山の斜面を担ぎ上げる光景は壮観。 | |
甲八幡神社 | 千姫のお輿入れに由来すると伝えられる「長持ち行列」で有名。金竹地区の獅子舞も見もの。 | |
正八幡神社 | 400年以上の伝統を持ち、市の無形文化財でもある「竜王舞」が見もの。 | |
10月14・15日 | 松原八幡神社 | 「灘のけんか祭」の名で全国に知られる。 |
大塩天満宮 | 勇壮豪華な毛獅子の乱舞「大塩の獅子舞」で有名。 | |
10月の第三土曜・日曜日 | 荒川神社 | 6台の豪華な屋台が神社馬場で、まるですり鉢の中で小芋を洗うように練り合わされるところから「小芋まつり」とも呼ばれる。 |
10月17・18日 | 英賀神社 | 18台の屋台と2台の壇尻が登場、梯子獅子は見もの。 |
10月21・22日 | 魚吹八幡神社 | 見どころは多いが、別名「提灯祭り」と呼ばれるように門前での提灯練りは圧巻。 |
11月13〜16日 | 播磨国総社 | 播磨地方の秋祭りの最後を飾り、各種神事や神輿巡礼など多彩な催しが行われる。 |
ひめじおんな祭り
姫路お城まつり | |
【開催期間】平成16年8月6日・7日 姫路の夏の風物詩として、歴史とにぎわいに満ちた姫路市最大の市民まつり。幕開けはライトアップされた姫路城を背景に幽玄の世界が繰り広げられる「姫路城薪能」。 翌日は「お城の女王発表会」に続いてメインイベントの「大パレード」がスタート。およそ2000名が一斉に播州音頭を踊る「総おどり」は圧巻です。また、アマチュアバンドグループによる「サウンドフェスティバル」も開催されます。 ■ 開催場所 姫路城、大手前通り、大手前公園周辺 ほか |
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お夏清十郎まつり 慶雲寺 | |
浄瑠璃などでおなじみ“お夏清十郎”の物語は、姫路で本当に起こった事件を題材にしているといわれています。筋立ては小説や戯曲によって微妙に違いますが、井原西鶴のベストセラー「好色五人女」の第一話「姿姫路清十郎物語」では次のように描かれています。 室津の造り酒屋の息子、清十郎は姫路城下の米問屋・但馬屋に奉公し、そこで主人・九右衛門の妹、お夏と恋に落ちます。身分制度の激しい時代、反対され駆け落ちしたものの追っ手に捕らえられ連れ戻されてしまいます。その上清十郎は、盗みの濡れ衣まで着せられ処刑されてしまうのです。残されたお夏は悲しみのあまり気がふれてしまうという悲恋物語です。 市内には、今も幾つかの史跡が残されており、慶雲寺の境内には二人の霊をなぐさめる比翼塚がひっそりとまつられています。 毎年、8月9日には、地元の人によって「お夏清十郎まつり」が開催され、二人の供養に続いて、商店街の踊り流しなどが賑やかに繰り広げられます。 |
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奉点灯祭 破盤神社 |
厄年の氏子らが、飛び交う火の粉や煙をものともせず、たいまつをたたきつけ合う祭り。400年余り前、羽柴秀吉に逆らって焼き討ちに遭った、峯相山鶏足寺の僧侶を同神社の氏子らが供養するために始まったのが起源であるといわれます。 神殿において宮司が点火した神火を、長さ約3mの大たいまつ4本に移し、境内をゆっくり周回します。その後、高さ約5mのとんどに点火し、氏子らは順番に等身大のたいまつへと火をもらい、本殿前の舞殿に移動して、「今日はめでたい奉点灯祭」などの歌声に合わせて踊り、たいまつを床にたたきつけ合うお祭りです。 |
平和資料館 |
姫路市西延末475番地(手柄山中央公園内) |
平和資料館の常設展示 | |
1.美しい城下町・姫路 |
明治維新から満州事変以前、姫路は近代都市への第一歩を踏み出しました。 御幸通りの完成や鉄道の開通など、文明開化から近代へ躍進する姫路、その当時の活気に満ちた市民生活や街の様子を写真パネルで紹介します。 しかし、昭和初期には戦争の暗い影が忍び寄り、激動の時代を予感させる出来事が起こり始めます。 |
2.覆われた姫路城 |
日本全体が戦時体制に入り、迷彩のため姫路城に黒い網をかけるなど、姫路の街に戦争の影響が見られるようになりました。その当時の街の様子や市民生活を立体模型のジオラマやパネルで再現します。 ●もんぺ、国民服、鉄兜といった日常品をはじめ、血液証明書や米穀購入通帳、配 給物資内訳簿など戦争中配布された書類などを展示し、窮乏を強いられた市民 生活の様子が伺えます。 ●触れて体験できる展示コーナーでは、防空頭巾を実際に着用することもできます。 ●戦時下の学校教育を表す写真パネルには、軍事訓練や救護活動をする学生の姿 が、また太平洋戦争当時の戦況を地図や年表で紹介します。 |
3.炎の中の姫路城 |
姫路は昭和20年6月22日と翌7月3日深夜から4日早朝にかけて二度の空襲に見舞われ、大きな被害を受けます。ここでは民家・防空壕復元のほか、映像、音響、振動、ジオラマで空襲を再現した疑似体験装置で、空襲の恐ろしさを体験できます。 ●戦争中と空襲後の変わり果てた姫路市街の様子を大模型で再現します。しかし、 最後まで空襲の被害を受けることがなかった姫路城は市民の心の支えになったの です。 ●当時の実物資料として、焼夷弾や焼けた金庫、焼け焦げた米のかたまりなどを 展示、空襲の凄まじさが伝わってきます。 |
4.よみがえる姫路城 |
昭和20年8月15日終戦。大空襲による被害を乗り越え、歩みだした姫路市民の復興への軌跡を追います。 また広島・長崎原爆投下直後、被爆者の治療、調査に力を注いだ故都築正男医学博士の業績を紹介します。姫路市初の名誉市民である都築博士は被爆者の治療のほか、原爆禁止国際会議に出席するなど原子放射能症の権威者として国際的に活躍しました。 |
5.平和を祈って |
太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔の模型を展示し、平和への祈りを込めます。 さらに姫路の子どもたちが描いた絵画を展示、戦争を知らない世代へ受け継ぐ場として、また、かけがえのない平和の尊さを学ぶ場として活用します。 |
6.図書コーナー・ビデオコーナー |
図書コーナーやビデオコーナーもあり、資料や本、ビデオなどで戦争の足跡を知ることができます。 |
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